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パーク郡()は、アメリカ合衆国インディアナ州の西部、ウォバッシュ川沿いに位置する郡である。1821年にビーゴ郡から分離して設立された。2010年国勢調査での人口は17,339人であり、2000年の17,241人から0.6%増加した〔Quickfacts.census.gov - Parke County - accessed 2011-12-06.〕。人口密度は約39人/平方マイル (15人/km2) である。郡庁所在地はロックビル町(人口2,607人〔American FactFinder - Rockville, Indiana - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市でもある。 郡内には6つの法人化された町(都市は無い)と多くの未編入の町がある。13の郡区に別れ、地方レベルのサービスを行っている。 郡内をアメリカ国道2本と州道5本が通っている。また鉄道の幹線も1本通っている。。 パーク郡内には31の屋根付橋があり、「世界の屋根付橋の首都」とも呼ばれている。毎年10月にはパーク郡屋根付橋祭が開催されている。 == 歴史 == パーク郡となった地域には数千年の昔から次々と先住民の文化があった。ウォバッシュ川沿いのインディアナ州西部で最初のヨーロッパ人による開拓地は、1703年にフランス系カナダ人が建てたビンセンズだった。 七年戦争の後、フランスは北アメリカの領土をイギリスに渡した。さらにアメリカ独立戦争の後、イギリスはミシシッピ川以東の領土を新生アメリカ合衆国に割譲し、その中にインディアンが占領していてイギリスが支配していなかった土地も含まれていた。 1811年、ショーニー族の酋長テクムセが幾つかの部族を糾合し、この地域からヨーロッパ系アメリカ人開拓者を追い出そうとした。この年遅くに、ウィリアム・ハリソン将軍がビンセンズから軍を起こし、ティッペカヌーの戦いが起きた。この時、フランス系カナダ人のザカライア・シコットが斥候を務めた。シコットは1801年頃からウォバッシュ川の上下流でインディアンとの交易を行っていた。現在のティピカヌー郡にある戦場に向かうハリソンの軍隊が通った道は、後にパーク郡となった地域を抜けていた。郡内ウォバッシュ郡区にあるアーミーズバーグの町は、ハリソンの軍隊がラクーン・クリークを越え、その近くで宿営したことから名前が付けられた〔Bowen (1913), pp. 52–53, 221.〕。 パーク郡は1821年1月9日にビーゴ郡から分離して設立された。これはインディアナ州議会が承認した法によっていた。郡名はティッペカヌーの戦いで軽装竜騎兵隊を指揮したベンジャミン・パーク大尉に因んで名付けられた。後にパークはインディアナ準州からアメリカ合衆国議会に派遣される代議員に選ばれた。さらに1821年にはインディアナ州にあるアメリカ合衆国地区裁判所判事に指名された。 パーク郡の郡庁所在地は当初ローズビルにあったが、後にアーミーズバーグに移された。1822年にはロックビルを恒久的郡庁所在地に指定した。州法では郡の成立後1年以内に郡政府を収める建物を建設することを求めていた。しかし実際に建設が始まったのは1824年になってからだった。初代郡庁舎は1826年にロックビルのタウン広場に完成した。木造であり、教会の機能も兼ねていた〔Bowen 1913, pp. 60–62.〕。 1832年、この木造からレンガ造りの建物に置き換わり、1879年まで40年間以上使われた。この1879年に2代目庁舎が解体され、新しく石造りの建物が建設された。この建物の建築家はフォートウェイン出身のトマス・J・トーランとその息子ブレントウッドだった。彼らはインディアナ州で7つの郡庁舎を設計しており、他にもオハイオ州、アイオワ州、イリノイ州、テネシー州で実績を残した。 3代目の郡庁舎は約79,000ドルを掛けて、1882年に完工した〔Bowen 1913, pp. 62–64.〕。郡庁舎に納められている品物として、町の歴史記録、郵便切手、郡内で栽培された幾つかの穀物、貨幣、写真がある。除幕式はジョージ・ワシントンの誕生日に当たる1882年2月22日に行われた。後に約1,500ドルで時計と鐘が追加された。 1850年頃、地域を通るウォバッシュ・アンド・エリー運河が完成し、パーク郡を抜けてウォバッシュ川の東まで通した。この運河は1870年代に廃止されるまで川岸にある幾つかの町が利用した〔Bowen (1913), p. 202.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パーク郡 (インディアナ州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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